« K神父の訃報に接して | トップページ | 外国語ミサの是非について »

2018年6月18日 (月)

外国人対応 外国語問題について

 前回の世話人会では様々な話題で盛り上がったのだが、とりわけ外国人対応と外国語の問題については話が紛糾した訳ではないが盛上ったのは間違いない。

 外国人対応という件では様々な問題があるが、突き詰めればコミュニケーションが出来てないということなのだろうと思う。それには多分に言語の壁が大きくはだかっているのは事実だ。

 話の発端は外国人問題ではなくて、同じ日本人同士の電話による連絡網が成り立たなくなり始めているという件からだったと思う。少子高齢化の波は教会とて例外ではなく、従来の電話連絡網による、例えば訃報の通知であっても伝言ゲームになりつつあるという状況を一人の世話人が申し立てて話が始まったのだ。

 電話による連絡網の機能不全については私も随分前から感じていて、私が世話人を務めていた年も、自分のコミュニティでは、伝わる事が期待出来る人は極力上流に集めて、期待出来ない方は下流に置かせて頂いて、途中からは伝わらなくても仕方ないと半ば諦めて運営していた。

 今は、相手が携帯を使える場合には極力携帯の連絡先を教えて貰って、その中でも電子メールが使える人は電子メールでの連絡にさせて貰っている。この電子メールによる連絡は簡便で確実である反面、教会のような組織では使える人は非常に限られてくるのも事実だ。

 一般の連絡網の問題に関しては今日の話題ではないので、このくらいにしておくが、同じ日本語が通じる日本人同士でさえこの状態なのだから、同じコミュニティに所属する外国人たちとの間で、連絡網が通用するかと言えば、言うまでもない。

 前回、私が世話人だった時には偶々とても協力的な方が外国人グループの中に居て、私からその方には少なくとも確実に伝わったと思うのだが、そこから先がどうだったのかは怖くて訊けなかった。

 更に前々回、世話人を引き受けていた年には正直いって、外国人のメンバーには一回も電話が通じなかった。いろんな事情があっての事だとは思うが、日本語で通じるのかどうかすら確かめられなかったのも事実だ。

 日本の教会なのだから日本語が通じるようにすべきという意見もある。その一方で、日本語が通じないのだからその方たちは別のその言語圏でのコミュニティをつくるべきだという意見もある。どちらも極端な意見だとは思うが、一理はあると思う。

 発言された日本人の方の一人は、自分がもし外国の教会に行ったのだとすれば、その国の言語のミサに与かりたいと思うし、その国の言語が理解出来るように努力するだろうと仰った方もおられた。これは私も正論だと思うし、私自身もきっとそうすると思う。実際、私自身幼少期に棲んでいた街に米国駐留軍の基地があり、その基地内のチャペルと呼ばれる聖堂で日曜に催される(勿論英語の)ミサに姉と二人、子供だけで与かりにいったのは何度かある。英語のみで書かれたパンフレットを貰って帰って、一生懸命何処に何が書いてあるのか父親に習ったという経験もある。

 しかし、そういう事は誰に対しても望むことが出来る訳ではないのも事実である。日本の教会に通う外国人の大半は、日本に勉強をしにきている訳ではなく、就労の為に来ているのだろうと想像している。日本語を勉強するのに充分な時間と機会は得られていないのが普通ではないだろうか。もちろんそういうのを努力だけで乗り越えて現主任司祭になられた外国出身の方も居る。しかしそういうケースはむしろ稀有なことだろうとも思う。

 件のS神父は「これを問題と捉えてはならない。この解決の為に自分から一歩踏み出すことが大事だ。」というような趣旨のことを述べられていた。何となく趣旨は理解するものの、実際どうすればいいのかについては途方に呉れてしまうと言う他はない。

 何か提言めいたことを書きたかったが、問題が山積していると指摘しただけで終わってしまった。この問題は次回以降も取り上げてみたい。

« K神父の訃報に接して | トップページ | 外国語ミサの是非について »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 外国人の方々とうまくコミュニケーションをとりたい気持ちはあっても、具体的にどうしたら良いかは確かに難しい問題です。

 それほど多くの外国でミサに与ったわけではないですが、自分の少ない経験から・・・

 英語のミサはある程度流れがわかるものの、他の外国語の場合、本を渡されてもさっぱりわからない。ある国で、隣りに座ったご婦人が親切に教えてくださり嬉しかったこと!裏を返せば、日本人のちょっとした気遣いが、外国人の喜びになるということ。
 また大きい問題だと思うのは、日本の場合、ミサ後の会合のなんと多いことか!自分の知る他国では、日曜日に家族の時間を大切にするためか、ミサ後は皆さっさと帰宅。しっかりした組織で運営しようとする(訃報の連絡しかり)日本人気質と外国人とのその違いが、難しさを広げているように感じます。

 郷に入ったら郷に従え、なのか?

ちょっと古い情報ですが、フィリピンの信徒たちは、なんでもfacebookでやりとりしているから、教会の連絡もそれでやっている、といっている人がいました。
コミュニケーションは、正直疲れることもありますが、就労で日本に来ている若者が多くいる中で、何か心に残る交流ができれば、ささいなことであれ、喜ばしいことですね。たとえ、笑顔一つでも、向けることができたら、と思うのです。

 隣人LOVEさん、もなかさん。コメント有難うございます。この問題はいろいろ考えさせられる件なので、今後も機会があるごとに取り上げてみようとおもっています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/596859/66843552

この記事へのトラックバック一覧です: 外国人対応 外国語問題について:

« K神父の訃報に接して | トップページ | 外国語ミサの是非について »